猫の電車って知ってる?
私が捏造した、架空の電車なのよ。
でも、乗り込んでるのは本当に実在する猫なのです。
* * *
さくらは長い尻尾に蜂蜜色の目をした美しいメスの赤毛猫。
さくらの姉妹なのに、なんと表現していいのか分からない毛色。深みとコクの
ある色。なんとか判っていただくために、仔細に観察してみると、絵の具の赤
と黒をキャンバスにニューと絞って、画伯が太い筆で叩き延ばして、色の境目
を消し、色の正体を判らなくしたのに最初の黒が浮いてきたという風な芸術的
な色合い。そして、彼女の個性の決定的トドメは尻切れトンボの短い尻尾。
残る四匹もの白猫のネーミングに、どれほど苦労するか覚悟をしてはいたが
まさか色ものの段階でこんな苦しみを味わうとは、猫好きを自認する私として
は不覚である。
猫のネーミングほど楽しいものはない、なんて誰かがほざきよったな。
白状しよう。さくらの姉妹だから釣り合うように《ぼたん》にした。
桜に負けない花は牡丹である。
ところが彼女は《ぼたん》のイメージじゃないのだ。
猫に好意をもっていない友が「顔が怖い!睨んでる。ねぷたみたい!」との
たまった。
《ぼたん》は止めて《ねぷた》だ!津軽のカーニバルの豪気なねぷた絵を連想
する顔。顔に黒い線が走っているのだ。
一匹くらい郷土愛を表現してもいいわね。
《ねぷたちゃん》とするか。
実際のところ付けてみたら、今ひとつ呼びにくい。
もっと、彼女らしい名前はないか?
ネーミングの原点に戻って、考えよう。
彼女の性格の特徴は?
この猫は落ち着きがなくお転婆、愛情表現が強烈で、手でも足でも、肌の出て
いるところを、舐めてくれる。ザラザラした舌で一心不乱に舐めてくれる。
猫の舌というのは、人間の肌が耐えられるものではない。「ザラザラして痛い
よ。ありがとうよ。もう勘弁してよ。ザラザラは痛い。ザラザラは勘弁して。
ザラ子!」
《ぼたん》から《ねぷた》そして《ザラ子》顔立ちが精悍で尻尾が短く、い
つもキョロキョロして、すぐチョッカイをだす。
この先《ザラ子》を改名しないと私は断言できない。もしかしたら、彼女は改
名が好きな猫なのかも知れないじゃない!
彼女の母の小雪は、仔猫たちが目も開かない時に、どういう訳か、自分の子
をくわえてみちるママの箱に運んだ。次々に運び込む。私によって出産時に二
匹託児されていたことは知る由もないと思うのだが、自分の仔猫を全部運び込
んで、最後は自分も入り込んでしまった。みちるは怒りもしないですべてを受
け入れ、仔猫たちを舐めてやっている。
小雪はヤンママらしく、姉さん格のみちるに育児を手伝ってもらいたいのかも
しれない。みちるは迷惑がるどころか喜んでいるらしい。
母猫というのは自分の仔猫だけを可愛がるのかと思っていたら、まるでそう
ではないのだ。みちると小雪が姉妹とかの血縁関係でもないのに。
六人掛けの食テーブルの下に、ダンボール箱四個を改造してゆったりした二部
屋の育児室を作ってやった。カッターとガムテープで思い通りに出来た。あい
だの仕切りは一部切り取り、ママ同士が話し合えるようにした。
そして、ダブルサイズの肌掛布でテーブルをすっぽり覆って出来上がり。
二匹のママ猫が合計九匹の仔猫を共同で育児する箱部屋を作ってやった。
そしたら、おかしな現象がおきた。
ママ達は仕切りがいらないという。いつも、ひとつの部屋に全員が一緒にいる
のだ。
ヤンママ小雪が出掛けたら、みちるママは乳房は八個のはずなのに、九匹をお
腹に抱えて大満足で世話をするのだ。
ヤンママが帰って来たら、ちょっとした観ものが始まる。
ヤンママ小雪は仔猫を返して貰えないでオロオロする。よくしたもので、小雪
は(舐め殺し)という手を編み出した。「留守にお世話になって有り難う」と
お礼にみちるの顔を舐めて舐めて舐めまくる。
みちるが居たたまれない程、舐めまくって、ついに自分の居場所を確保するの
だ。荒立てないで、仔猫を返して貰う知恵には感心してしまう。
ママ達は向き合って横になり、お互いが顔を舐め、それぞれのお腹に仔猫を抱
いている。
毎度仔猫の組み合わせは違う、こだわっていないようだ。母猫はどの子が誰
の子という区別はまるでしていない。ごちゃまぜ育児。
よく仔猫は目が見えない時から、自分の乳を決めているというが、我が家の九
匹においては、そんなことがなかった。母を区別せずにおおらかに仔猫は育っ
た。
みちるは全部の仔猫を独り占めしたいと思っているらしい。というより、仔
猫は全部可愛いのだ。後々そのことが、私にも判るようになるのだが、当時は
ただ驚いていた。
猫族の気高く美しい(人間には真似のできない)愛情物語は幕を開けたばかり
だった。
付記しておこう。その時、人間の家族は育児室の上のテーブルで食事をして
いました。こよなく私は幸せでした。徐々に窮地に追い込まれていくのをその
時は予測できずにいました。
二匹の母猫と九匹の仔猫の平和ないとなみに波風をたてないように、特に母猫
の神経を刺激しないようにと、気を使いました。カメラを向けるのもはばかっ
ていました。見ているだけで痺れるような喜びを感じていました。
更に、付記すれば、『ザラ子』は、里の母の所の野良婦人と同じ毛色。
野良婦人は額に黒い星印を付け、長い真っ直ぐな尻尾の美猫である。母以外の
誰にも心許さず、集金人の声にも疾風のように窓を蹴破って庭に飛び出す。
鍵が掛かっていなければ、猫にしては重くて手強いと思う二重になったサッシ
戸もチョイチョイといとも簡単に通り抜けるし、網戸外しは朝飯前という女子
プロ出身のような技を持った女丈夫猫である。 (次へ続く)
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