さてさて、皆の衆、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!
十六連結の猫電車なんて、あっちにもある、こっちにもあるなんてシロモノじ
ゃござんせんよ!
* * *
「猫が付いて来て離れない」と夫が大声で呼ぶ。飛び出して見たら、黒猫が夫
の足元に絡みついていた。
平成九年の暑くもなく寒くもない、平凡な一日が終わろうとしていた夕暮れ
時だった。「門前に立っていたら、コイツと偶然に目が合ってしまった。そし
たら、真っ直ぐにオレをめがけて走って来た。」家に上がり込んで、夫に纏わ
り付いて鳴いている。黒猫はまだおとなになってない感じのオスで首輪をして
いた。明らかに飼猫である。
その時には、雪之丞が壮絶な死を遂げた直後で、ちるちる・みちるの二匹が
家にいた。紺碧を少し薄めた青色の目の白猫ちるちるは日をおって弱虫の臆病
猫になっていた。
というのは、発育の遅い感じのみちるも年頃になりかけていて、近所のオス諸
氏が入れ代わり立ち代わり訪問して来て、その度に兄猫ちるちるは彼等の威嚇
を受けるのであった。
ちるちるの萎縮に心を痛めながらも、みちるの婿えらびを楽しんでいた。
スカーレットを襲う南北戦争の生き残り兵のような、薄汚れた洋猫くずれが
好色そうにみちるに近づくが、みちるは毛を逆立ておしっこを漏らして逃げ帰
る。好みでないらしい。
《鰺・○○寺》と達筆の木札を首にぶら下げたのが来る。名前が『鰺』とは
恐れ入った。(味な奴)と(鰺)を掛けたか和尚!
(鰺)を首にぶら下げている猫。飼主のセンス、好きだなあ!
檀家総勢をしたがえたお寺様の猫らしく、人の顔を見たら、会釈らしい仕草を
するではないか。育ちも性格も申し分ないのだが、いまいち毛色が気に入らな
い。平凡なみちると同系色で、これでは個性的な仔猫は望めない。
箱入り娘に育っていたみちるは、オクテで私の気を揉ませていた。
このみちるが、長いムチのような尻尾を垂直に立て、前足・後ろ足を細かく動
かし、躰の向きを交互に代えながら突然現れた黒猫に擦り寄っていくではない
か。「好き、好き」と言っているのは一目瞭然。一目惚れとはこういうことか
と、感心した。
オスながら黒猫のほうは、みちるには関心を示さず、夫の方にうるさく鳴い
て付き纏う。まだ、おとな猫になっていない感じなのだ。
兄猫のちるちるは、嬉しくもないが不愉快でもないという顔をしている。
三匹で大皿で食事をしているところを見ると、大事になりそうにも見えない。
黒猫が首輪をしていることからしてまず飼主に返すことが先決である。
毛並みが艶やかで行儀もいい。丁寧に可愛がられている猫と察っせられた。赤
ちゃん猫ではないので、外を歩いたら自分の家を思い出すかもしれない。
すでに暗くなっていた町内をぐるりと連れ歩いてみた。道を思い出したら幸い
途中ではぐれたら、それまでよ。という、気分でもあった。
なんと、黒猫は小一時間前に出会っただけの夫の足に絡みついて、はぐれな
いないように鳴きながら付いて歩くではないか。普通、犬と違い、猫は人間と
一緒に散歩はしないものである。途中、車が側を走っても逃げない、自転車も
しかり、犬に吠えられても逃げない。ひたすら大声で鳴きながら付いて歩く。
この猫はタダモノではないと、思い始めてきた。数十分の散歩の最後頃は、
「もし、このまま、家まで又、付いてきたら、飼ってやりましょうよ」という
会話ができあがっていた。
結局、陸奥新報に《迷い猫を預かっています。黒のオス猫。青の首輪をして
尻尾に特徴あり》の広告を出したが誰も名乗り出て来なかった。
夫は猫に惚れられたと悦に入っている。
みちるが媚態をしめして擦り寄っても、「あっしの、お慕いするのは旦那だけ
でござんす」と歯牙にもかけず夫だけを慕う風だった。ところが、ところが、
だったのは、三日間だけだった。
家に馴染んで、弱虫ちるちるとも仲良くなった四日目から、じわじわとみち
るとの恋の活劇が始った。活劇は台所の私の足元とか、茶の間のテレビの前で
繰り広げられた。
みちるは躰の小さい猫である。ムチのような尻尾は、感度良好のアンテナに
見える。顔の部分は富士額のため、ますます小さく見える。小さい白い顔に黒
いアイラインをした大きな目がある。みちるがめやにを付けていたことは一度
もない。黒いアイラインの効果らしい。惜しいかな、目は青くはない。性格は
エキセントリックである。
膝に抱いて「みちるちゃんは美猫、素敵な尻尾」と囁くと喜びを全身で表わ
す。私の衣服を噛んで、前足でモミモミの動作を一心不乱にする。母猫のお乳
を飲んでいた時の動作である。これをされた日には、私はみちるのお母さん気
分になってしまって幸せに充たされる。猫と暮らす醍醐味の最高をみちると共
有しているわけである。
なんと、こんな時に、信じられないことがおこった。みちるの背後から黒猫
が愛をアブローチしてきたのだ。みちるの後首のあたりを噛んで躰を乗せてく
るではないか。愛の劇場が私の膝の上で上演されたのだ。
ところで、みちるに見染められた黒猫は「粋な黒塀、見越しの松に婀娜な姿
のお富さん〜」からもじって《粋な黒兵衛》と呼ばせてもらうことにした。全
身が艶やかな黒一色の剛毛で、尻尾が三角である。
三角とは、どういうことかというと、尻尾の骨が三角状に曲がっているのだ。
ちなみに、その三角に指一本を入れて上げると、黒兵衛が逆さ宙吊りになる。
指一本で釣れる猫。猫として珍しい肉体の特徴だと思う。
完璧に美しい尻尾のみちるが、イビツな尻尾の黒兵衛に魅かれたのは、運命
としかいいようがない。いずれ雪之丞の妻にと、連れ帰った私のたくらみは、
思わぬ展開を見ることになったわけだ。
雪之丞があの世で笑っている。「タクラミはいけないよ。猫はただただ可愛が
ってくれればいいんだよ」と。
黒兵衛とみちるの愛の軌跡に戻る。
キッチンと居間で繰り広げられた愛はなかなか成就しなかった。最初の日には
うるさく鳴いていた黒兵衛は翌日からはぴたりと泣きやみ寡黙な猫に変身した
。彼は両前足を真っ直ぐに前に伸ばして、銅像のようにぴたりと伏せる。猫は
お腹を着いて座わる時は前足を折り曲げるものだが彼は曲げないで伸ばしたま
ま前に出す。「君は調教された猫かい?」
食事が終わると、自分で高い本棚の上に空きカゴを見つけて、そこで眠る。始
末のいい猫である。黒兵衛は先住猫のちるちるを挑発するようなことは、ひと
つもしなかった。
私ではなく夫にだけつき纏ったのも、先住猫とのトラブルをさけるための本能
的な知恵かな?なにしろ、私はちるちる・みちる兄妹のお母さんだったから。
マザコンお嬢ちゃん猫のみちるが、黒兵衛の愛をきちんと受け入れるのには
日にちがかかった。台所と居間でくりひろげられた愛の無言活劇は毎度虚しく
幕を閉じる。
みちるは長い尻尾をお腹の下に巻き込んでしまうので、後首のあたりを噛んで
乗っかった黒兵衛が頑張ってもどうにもならなかった。
未熟な恋猫二匹の日常生活は、俗に(サカリのついた猫のよう)という言葉
があるが、この二匹に限っては、人間が感動するほどヒュウマンであった。
全身で媚態を示すみちる。「みちる、黒兵衛がそんなに好きなのかい!」仔猫
から手がけているので、彼女がどれほど黒兵衛を慕っているのか私には、分か
っていじらしかった。黒兵衛は寡黙ながら、愛し気にみちるを舐めてやる。顔
も尻も。嬉し気なみちる。
黒兵衛が食事をすれば、走り寄って、寄り添うようにして一緒に食べる。一緒
に食事をしたいらしいのだ。
数週間後、ついに、みちるの「ギャァ」という凄まじい悲鳴で私は愛の成就
を知った。可愛い仔猫を期待したのに、保護色で尻尾が中途半端なおこげ・あ
わびが誕生した。誕生日は平成十年四月七日だった。 (次へ続く)
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