「猫がついて来て離れない」と夫が大声で呼ぶ。玄関の夫の足もとに、まだ
おとなになってない感じのオスの黒猫がいた。平成九年の平凡な秋の夕暮れ時
だったと思う。
当時、ちるちる・みちるの二匹が家にいた。紺碧(こんぺき)を少し薄めた
青色の目の白猫ちるちるは弱虫猫になっていた。というのは、みちるも年ごろ
になりかけていて、近所のオスが入れ代わり立ち代わり訪問して来て、たんび
に兄猫ちるちるは威嚇(いかく)を受けるからであった。
きたない長毛の洋猫が好色そうにみちるに近づくが、みちるは毛を逆立て逃
げ帰る。
《鰺・○○寺》と達筆の木札を首にぶら下げたのが来る。名前が《あじ》と
は恐れ入った。鰺を首にぶら下げている猫。飼主のセンス、好きだなあ!
檀家(だんか)総勢をしたがえたお寺様の猫らしく、人の顔を見たら、会釈
(えしゃく)らしい仕草をするではないか。育ちも性格も申し分ないのだが、
いまいち毛色に難点がある。平凡なみちると同系色で、これでは個性的な子猫
は望めない。
このみちるが、細く長いアンテナのようなしっぽを垂直に立て、黒猫にすり
寄っていくではないか。一目ぼれなのだ。
食事は大皿で三匹が一緒に食べる。兄のちるちるは怒りもしないで、どうで
もいいという顔をしているし、黒猫は賢く先輩オス猫のちるちるを刺激しない
で、おとなしかった。
陸奥新報に《迷い猫を預かってます。黒のオス猫。青の首輪。しっぽに特徴あ
り》の広告を出したがだれも名乗り出て来なかった。
性格がエキセントリックなみちるは私の衣服を咬(か)んで、前足でモミモ
ミの動作を一心不乱にする。母猫のお乳を飲んでいた時の動作である。なんと
こんな時に、信じられないことがおこった。みちるの背後から黒猫が愛のアブ
ローチをしてきたのだ。みちるの後首のあたりを咬んで体を乗せてくるではな
いか。愛の劇場が私のひざの上で上演されたのだ。
ところで、みちるに見染められた黒猫は「粋な黒塀(くろべい)、見越しの
松に婀娜(あだ)な姿のお富さん〜」をもじって《黒べい》と呼ばせてもらう
ことにした。全身がつややかな黒一色の剛毛で尻尾(しっぽ)が三角である。
尻尾の三角に指一本を入れて上げると、黒べいが逆さ宙づりになる。指一本で
釣れる猫。猫として珍しい肉体の特徴だと思う。長く美しい尻尾のみちるが、
イビツな尻尾の黒べいにひかれたのは運命としかいいようがない。
黒べいとみちるの愛の軌跡に戻る。みちるは長い尻尾をお腹の下に巻き込ん
でしまうので、後首のあたりを咬んで乗っかった黒べいが頑張ってもどうにも
ならなかった。愛の無言活劇は毎度むなしく幕を閉じるのだった。
たわむれの恋にあるまじ鰹節
(第四話に続く)
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