ニャン義なき戦い (1999年10月4日)

 

朝がた、けたたましい猫の叫び声で庭に飛び出す。
いちいの木の下でみちるが尾を膨らましている。
見上げると、こんもり繁った木の中程の枝にバットマンがいた。

バットマンは近くの飼猫で、我が家の庭を自分の縄張りにして朝晩見回りに来る。
我が家のちる平やまたちゃぶは猫としては若造で歯がたたない。
姿を見かけただけで、逃げる。メス六匹と三匹の子猫は逃げない。
バットマンは盛大にマーキングをして歩く。

夏の始めの頃は、みちるの最愛の夫の黒兵衛も居候のホリゾンもいたのに、バットマンが
出没するようになってからは、こぜりあいがあった後に姿を消した。
私が目撃した、黒兵衛とバットマンの戦いは、今でも脳裏に焼き付いている。

     <黒兵衛とバットマンの戦い>
  黒兵衛が庭の中央であらぬ方に目をすえて大見得を切っていた。と、私には見えた。
  歌舞伎役者が舞台の中央で、目の玉を寄せてするあれ、黒兵衛は微動だにしない。
  いかさま、バットマンが草の茂みに身を潜めているのが見てとれた。
  「ヨー。黒兵衛、ニッポンイチー」と私は掛け声をあげた。
  次にはじまるアクションをかたずを呑んで待っていたが、それでおしまいだった。
  あの時の黒兵衛とバットマンの戦いは、完全な心理戦だった。
  「お若いの、怪我をせぬうちひきとられるが、よろしかろう。
   女、こどもに血は見せたくない」と黒兵衛が言っているかに見えた。

話を冒頭に戻す。
尾を膨らましているみちるのそばに、ベア、プリン、ふーこの三姉妹猫が来た。
ふーこは怖がりだから、一匹だけ離れている。
私は「みちる、バットマンをやっつけろ!」と、みちるをいちいの木のいちばん下の枝に
上らせ、けしかけた。
みちるは四歳でキリキリした気性の猫である。
ゴットマザーのみちるに、姪にあたる三姉妹が協力したら、バットマンを追い出すくらい
はできるだろうと、またたび館の管理人として私は考えた。
猫の気持は分からぬもので、ゴットマザーは膨らんだ尾を戻している。
興奮がしずまってしまったらしく、木からおりて来た。

昔、喧嘩と火事は江戸の華といったらしいが、我が家では『猫の喧嘩は庭の華』である。
けたたましい叫び声はなんだったのか、「半鐘が鳴ったのにポヤにもなんねえー」と江戸
っ子ぶって、家に入ろうとしたら、「ウー」とうなり声がする。
「声はどこから?」
二階のテラスのもっと上まで高い、いちいの木のてっぺんあたりの枝に、何かがしがみつ
いているではないか。
「北限の猿か?」と冗談を言いたくなるような、灰色の毛色。
黒兵衛とほとんど時を同じくして、消えた居候猫のホリゾンではないか。

しばらく、観戦していたがさっぱり進展しないので管理人は、華のない火事場から、ゴミ
散る家事場へ帰った。
ホリゾンは生きていた。だったら、賢い黒兵衛が死ぬはずがない。
黒兵衛よ、みちるのために帰って来ておくれ。


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