48 ラルフ氏へ 82歳の晩歌?

ラルフ様 御机下。

82歳の晩歌と題しましたが、これは私の捏造した真っ赤な嘘の題であります。
まず、ホントの『挽歌』はテ偏の挽で、昔中国で葬送のさいに柩車を挽(ひ)くものが歌った歌で万葉集では
亡くなった人を弔う詩歌です。
私の題の『晩歌』は「お晩です」の夜の晩です。
82歳というのは小倉百人一首なかの82番なので、覚えやすくするために『82歳の晩歌』としました。

  82 思い侘びさても命のあるものを 憂きに堪えぬは涙なりけり  道因法師

でも、もしかしたら道因法師の寿命はと調べてみましたら(1090〜没年未詳)でありました。
それに1172年に出家したとありました。なんと82歳で出家したことになるではありませんか!
840年も後に私のようなボンクラアタマに取り上げられて詮議されるなんて、、、、これが文芸の面白さ。
90歳の時に右大臣家の歌会に参加した記録もあり、かなりの長寿の人であったという。
真っ赤な嘘を最初に白状したのに、、、、、嘘でなくなってきた感じ。

この82番の道因法師の歌は記憶するのが面倒だった。何かしら煮え切らない吹っ切れない内容なのだ。
詠まれた時が青年時代であれば、恋の歌に読み取れる。
「成就しない恋を悩んでいても生死の問題ではない。しかし、哀しみに対して涙は正直である」
理屈が先に立ってしまう、屁理屈青年のようによめる。
また老年の歌であれば「くよくよしていても、なかなか死ねるものではない。しかし泣けることが多いなあ」
老人としては愚痴っぽくいただけないが、歌に詠んだところが理知と愚痴が混ざっていて風雅というべきか。

ついでながら、下の句『う』で始まるのがもう一首ある。
  84 長らへばまたこの頃やしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき  藤原清輔朝臣
これは、まったく解る。「長生きしてしまったけれど、今となっては苦労の多い娑婆がよかったよ」
長期入院中の老人が嘆いているので、いずれは我が身の歌である。身につまされて共感できる。
詩歌は共感しなければ、覚えられないということをしみじみと解った。
今からは百人の歌人の心の内側に入り込んで想いを共感することにします。

                         (2010.04.14)


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