47 ラルフ氏へ 19歳の恋歌
ラルフ様 御机下。
朝に夕に和歌を諳んじています。と申しますといかにも風流にきこえるでしょうが本意はそうでもないのです。
空っぽの蛸つぼを覗いては、衰えた脳と対峙している自分を客観視する試みです。
感情の豊かな人にはなりたいけれども、感情に走りすぎるのは厄介であります。
感情と理性とがバランスよくミックスされている人間が理想であることは衆人の目標としているところでしょうが、
何かのはずみでこれが歪んだ時を不幸というのではないでしょうか。
老いていくことも病気になることも、死に向かっているという確かな現実ではあっても、不幸とは呼べない。
幸福と感じるか、不幸と感じるかは、当人の意識の問題である。
安易に同情するのも失礼であるし、されても迷惑なはなしである。
理屈を並べていても面白くない。
面白いことこそ最上。面白くしなければという私の原点に戻りましょう。
蛸はやっぱりタコ踊りをしなければ面白くない。
難波潟短き蘆のふしの間も 逢わでこのよを過ぐしてよとや 伊勢
難波潟(なにわがた)は現在の大阪湾の古い呼び名の入り江。
入り江にはえる葦の節くらいの短時間でも逢わないで『この世』を過ごせませんわ、という恋歌ですが、『この世』
が同音の『この夜』をも意味して切ない。最後の『過ぐしてよとや』は現代風では『過ごせと言うのですか?』なの
ですが『よ』と『や』はどちらも『夜』の意味にもとれて詠む者をドキドキさせる。
もしかしたら葦の生い茂った隠れ宿の密会なのかもと更なる想像をたくましくしてしまう。
さらにこれは小倉百人一首では19番なので伊勢と言う名の19歳の恋心に燃える乙女を連想して覚えるのです。
(2010.04.09)