19. 草花は立派で美しい
「ゆりの花の最後の願い」を読みました。胸を突かれました。そして、今日、車庫の前に繁茂している瓢箪の切り捨てた茎が数日の放置で枯れていたのに、一夜の雨で回復して花までつけた、しぶとさというか、けなげさというか、物言わぬ植物の姿に虚を突かれた感じでした。
あしかけ9年間生活を共にした舅は、「庭の草花は切らないであるがままの姿で愛(め)でよ」と常に私に言いきかせていました。切花が欲しければ花屋で買えばよい。草は抜くな。落葉は掃くな。最晩年の舅は庭に咲いた花はすべてスケッチしていました。
「わしは草紅葉(くさもみじ)が好きでのう」という声が今でも耳に残っています。雑草が枯れ果てた姿を好む美意識は若い私を驚愕せしめたものでした。28年前に91歳で亡くなりました。
美しい花を育てるために邪魔な草を引き抜くことはガーデニングの基本中の基本であるのに、ここから割り切れない感情がうごめく。花を美しいと愛でることも、野菜と称して食してしまうことも詰まるところ人間の勝手な言いぐさで、「花も野菜も、ただ枯れてしまうより人間を喜ばせて本望なはず」とは、ほんとでしょうか。
いっぽんの草花が自然のままに根を張っているさまは立派で美しい。
かなわない。
聖書にありましたよね。「栄華をきわめたソロモンでさえ野の花ほども着飾ってはいなかった」と。