17 時計占い

素早い反応でさすがに我が妹。あなたの文章は私にとってはまさに垂涎ものです。
母君がその生涯を貫いた日本女性の美徳は、娘たちを苛つかせたものでした。男性を立てるというのは建前で決して男性の自立を尊重はしていないことにあなたは気づきましたか?
パートナーの男性が真に成長することを阻んでいるのです。

松森町に住んでいた頃に向かいに質屋がありました。電力会社が倒産して商売を始める前の困窮していた一時期、母君が質屋さんを利用していたのをあなたは知らないでしょう?お嬢さん育ちの母君は、隣の中野のおがさまに頼んで、着物を質に入れていたのですよ。商売を始めて、お店に出るようになった母君を目当てに向かいの質屋の御隠居が毎朝お茶を飲みに立ち寄るのです。背が高くて二重マントを羽織って中折れ帽をかむって堂々としていました。
御隠居は、母君を気に入っていて、彼の人生哲学を母君の仕合わせのために説いていたのです。「女は木に絡まる蔦のごとくに男にからまって生きるもの」と。おそらく短気で遊び人だった父君を幼い時から知っている御隠居は夫の手綱をとりかねているお嬢さん風の母君に親切に説いていたのです。幼い時に父親を亡くした母君は御隠居に父性らしきものを感じていたのかも知れません。きっと、それが効を奏したから、人生訓として私達娘にも披瀝し続けたのだと思います。

しかし、御隠居は北横町で遊廓を経営していたのですよ。
儲けで金融業の質屋を経営して成功のあかつきには息子に譲り、御隠居の立場でした。長男孫には質屋を継がせ、孫娘は捜しまくって医者に嫁がせ開業させ、次男孫は何浪もさせて医者に仕込んだのです。少女の私はしっかり、お向かいの家庭を観察していました。
御隠居は悪人ではありません。彼の常套ジョークに「お父ちゃと、お母ちゃと、どっちがめごがって(可愛がって)るか、教えてやるかな〜?」といって、やおら腕時計に耳を当てて「とちゃ、かちゃ、とちゃ、かちゃ、言ってるから、お父ちゃもお母ちゃも同じにめごがってるよ(可愛いと思っているよ)」と毎朝ワンパターンに腕時計に耳を当てて時計占いを言うのです。

....ここまで書いて、絶句....

御隠居は母の連れ子の私を気使って、いつも、いつも、同じジョークを毎朝くりかえしてくれたのでした。連れ子の私がひねくれないように。この御隠居の人生訓を若い母君は納得して、自分のものにしていったのだと思います。今、始めて思うに到りました。六十歳を過ぎた今迄考え及ばなかったとは、なんという浅はかな私。


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