2007.05.29 父の物語(5)


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私の進学の時期がやってきました。 
それは多年の勉学になることは明らかでした、というのも私は生徒7000人の高校で一番だったのです。 
医学を学ぶことがすすめられました。 ユダヤ人の家庭にとってこれは珍しいことではありません。 
というのも医者は自営業なので、職場での人種差別にさらされることがないからです。
実際、私はコーネル大学に医学部予備生として入学しましたが、すぐ科学のほうが自分にむいていると決め、
最終的には化学、物理学、数学を専攻しました。 
コーネル在学中カリフォルニア工科大学(カルテック)から訪問講師としてきていたライナス.ポーリング
(訳者注:ノーベル賞2回受賞)に会いました。 
彼のあとを追って、カリフォルニアに移転し、そこで物理化学の博士号をとりました。 
そして亡妻のテレーサと結婚し、2人の子供をさずかり、10年間ほど大学で化学を教えた後、
37歳の時にようやく両親の望みをかなえて医学大学にいくことになりました。
以上ながながと経歴を述べたことに理由があります。 
私が高等教育を受けた11年間という年月、父が経済的に補助してくれたことをおしらせしたかったからです。
(贅沢はできませんでしたが、適当でした。) 博士号修得研究員やインターンをやった数年間、
その給料ではなかなかやっていけない時は、父がその不足分を補ってくれました。
父は85歳で亡くなりましたが、そのまえの5年間はほとんど寝台に寝たきりでした。 
葬式に参列した私は、父がいかに多くの人たちに愛され、尊敬されていたかということを知って驚きました。

  (おわり)

 

 
ちる平
「 ノーベル賞を二度貰った
ライナス・ボーリング教授(アメリカ合衆国)、
ノーベル化学賞1954年、ノーベル平和賞1962
年。
たまげたな〜
またたび企画にそのような大先生の名前が登場するとは。
なんでもこの先生は風邪にはビタミンCが効くと言ったそうです。」


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