2007.05.26 父の物語(2)


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家業は破綻。 さて、どうしよう? 考慮した結果、父は“オポチュニテイの国であ
るアメリカ”に渡るべきと決まった。 でも、どうやってアメリカに行けるのか? 
船の下級切符を買えるかどうかというほどの金があるにすぎない。

そこで少しばかりの所持品を背中に担いで、父はハンガリーからフランスのル
アーブルまで歩くことにした。 1600キロの距離である。

父がオーストリアとの国境にさしかかった時、国境警備隊がいて2年間軍隊訓練をし
た証明書をもっているかどうか尋問された。 それがないと、誰も国境を越えること
が許されないのである。その時、父の才能がひらめいた。(この種のひらめきが後に
彼に富をもたらすことになる。)

完璧なドイツ語を話せたのに、(そして、国境警備隊員はドイツ語しかできなかった
のにもかかわらず)父はハンガリー語しかできないふりをした。 あれこれ繰り返し
たあと、ようやく軍隊の書類を要求されていることがわかった様子をみせた。 
そんな書類なんか所持していない。 ところが、父は荷物の中をあれこれさがし、
皮なめし職人の免状をとりだした。 勿論それはハンガリー語で書かれている。
言語が読めないと認めるのがいやなので、国境警備隊はそのまま父を通過させたそ
うである。

数週間ヨーロッパ大陸をてくてくあるいた後、父は大西洋岸にたどり着き、下級船室
にのりこんだ。 それは大部屋で、老若男女すべての移民がいっしょであったばかり
でなく、沢山の鶏や、数頭の牛まで混ざっていた。 しかしながら、父は19世紀の
末に無事にニューヨークにたどり着いたのである。

(続く)

 

 ちる平
 「 後に成功したご一家の写真です。
  最前列の右の少年が著者です。
  その上がお父さんでしょうな」
   


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