178 ホームズから(進化論の船長について。その7)

     
ビーグル号の2度目の航海は、フィッツロイと船員が海岸で地形測量に従事するかたわら、ダーウィンは陸で標本採集に
没頭するという毎日であった。 一日の終わりの食卓では二人がその日の発見について自然科学論をかわしたという。  
南アメリカ最南端の測量を終えてからビーグルはガラパゴス島を通過して太平洋を横断、1836年10月に英国に帰国した
ときには4年10ヶ月という月日がたっていた。 
この航海でビーグル号は全ての時間帯を通過して世界一周するという偉業をはたす。 

2回にわたるビーグル号航海は合計10年かかったわけであるが、フィッツロイはそれで集めた土地、海岸、海洋、天候、
さらにありとあらゆる資料をまとめて出版するのに3年の月日を費やした。 彼はもともと几帳面な性格で、念入りなだ
けでなく、自殺した前任船長が残した支離滅裂のノートまできちんと包含しようとしたので、とても苦労したらしい。 
それが3巻の書籍にまとめられ、ダーウィンの植物や動物に関する観察が4巻目としてつけくわえられた。 
ところが、ふたをあけてみたら、ダーウィンの書いた4巻だけが人気を集め、当時のベストセラーになった。 
フィッツロイは自分の努力が無視されたと失望したであろうことは納得できる。

それ以来、フィッツロイとダーウィンの仲が疎くなる。 その原因は単なる嫉妬ではなかった。 

(続く)

               (2010.04.24 掲載)


    


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