
この写真はプンタ アリーナというマジェラン海峡沿いの港にあった博物館に展示してあったものです。
ごらんのように原住民は裸体ですが、これは南国ではなく南極に手がとどくほど近い、
年中強風が吹きすさぶ寒い地域に住んでいた種族です。
フィッツロイは部下数人とボートで岸に乗りつけて現地人と交流した。
フィッツロイは現地人については科学的な興味を持っていたらしく、彼の筆による現地人の生活様式のスケッチがいろいろ残っている。
最終的に9歳ほどの少女、14-5歳の少年二人と、20代半ばの青年(年齢はすべて推察)の合計4人の現地人がボートに同乗して
ビーグル号に加わった。
彼の記録によると、身振り手振りで交渉し、これらの人物の家族はプレゼントに喜んだし、本人たちは大きな船に乗れることで
不満は全くなかったという。 そして、英国に向けて大西洋を北上することになった。
彼は未開人は文明国に一般的な病気に抵抗力がないという最新の医学知識をもっていたので、その予防のために帰途モンテビデオ港
(注参照)で4人に予防注射をうけさせるという気の使いようであった。
それでも後に少年の一人が病死したという。
さて、英国にたどり着いてから、フィッツロイは生き残った3人を寄宿学校に入学する手配をした。
これは貧しい家庭の子供たちを寝泊り付きで教育するというもので牧師によって運営されている。
まだ20代半ばのフィッツロイは、これで肩の荷がおりたと一息ついたら、数ヶ月後にとんでもない問題がもちあがった。
3人で一番年上の原始人(男)が10歳そこそこの同郷人(女)に色気をだしてきたのだ。 これは大問題である。
英語を学び、キリスト教に従い、最高のエチケットを身につけるどころか、大きなスキャンダルになる可能性があるではないか!!!
フィッツロイはあわてた。
読者はお気づきだろうか、ここまで”ダーウイン”の名前がまったく登場しなかったことを。
なぜならば、ダーウインはあの頃はビーグル号と全く無関係で、牧師にでもなろうかなぁと考えながら、英国で大好きな昆虫採集に
夢中になっていたからである。
*注
モンテビデオ:南米ウルグアイの首都で、ブエノスアイレスの近く。
その頃は大西洋航海船舶にとって重要な供給港であった。
(続く)
(2010.04.22 掲載)
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シャーロック様
日本では桜前線という言葉がございます。
南から北に向かって桜が開花することをいいます。
この季節は日本人の意識は桜花に集中します。
今年は上野公園や谷中霊園の桜を存分に楽しみました。
散りぎわの美しさも桜の桜たるゆえん。
大海原を航海するシャーロック様は曙と日没から、
雄大な終焉というものを感じるのでしょうね。
花酔い人
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ホームズ先生
ぼくは「しんちゃん」です。先生の功績も勉強せずに先生に馴れ馴れしくしたというのでニャロメに叱られました。
ホームズ先生はご高齢であるし、変人でもあるので、ご自分の書かれた『進化論の船長について』は再読はされない
のではというのがぼくのカンです。そこでぼくの初仕事で組ませて貰った(この言い方は、ニャロメが怒るだろう)
記念に、このページにヌシとして居座ることにした。実はホームズ先生はカビのはえた文章とか、誰も読むまい
とかマイナーなことをおっしゃっていたけれども、そんなことがないことを、このしんちゃんがページ担当として
活躍するつもり。慎太郎 (2010.04.26 記)
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