フィッツロイは22歳という若さであったが、航海に関する経験と能力は皆の注目をあびた。
海洋学のみならず、自然科学にも広い知識をもち、当時の英国知識人のあいだで人気のあった自然科学者の
グループにも属していて、最新の科学情報には詳通していたという。
しかし気性は貴族出身者の典型で、誇り高く、癇癪をおこしがちで尊敬はされても人望があつい船長ではなかった。
労働力としての船員たちの面倒はみるが、同等の人間として接するということは全くなく、孤独な存在であった。
それでも、若く独身のかれは、これこそキャリアを進めるチャンスとして意欲満々であった。
南アメリカの地図を広げてみてくれたまえ。
その昔は東(大西洋)から西(太平洋)に抜けるためには、南緯56度に位置する最南端岬(ケープホーン)を
通りすぎなければならなかった。
このあたりの海流は荒いことで有名でドレイク海峡と呼ばれている。
(フランシス ドレイクという英国王室から許可をもらってカリブ海を荒らしまわった英国人海賊の名前にもとづく。)
ところが、16世紀にマジェランが発見した水路は南緯53度あたりの東海岸から内海岸沿いに西海岸に抜け出るルートである。
これは内海沿いの通路なので荒い海流からは保護されたが、その海峡は狭く海岸線も海底の地形も複雑で、信頼できる
海図は存在しなかったので、念入りな測量をして精密な海図を作成するのが使命であった。
南アメリカの南端の海岸線はいりくんでいるので、縮尺の大きい地図でないとよくわからないだろうが、最南端は
“Tierra del Huego" といって実は島々の集まりである。
マジェラン海峡は本土の南側とこれらの島群の北側の間に広がる海域といえる。
さらに、地図をよくみると”Beagle
Channel (ビーグル水路)”という名前もみつかるであろう。
それはビーグル号の航海によって確立された水路である。
さて、" Tierra
del Huego” はスペイン語で"火の燃える大地”という意味である。
ビーグル号がやってくるまえに、そのあたりを通過したスペイン人の海賊や航海者が荒地の海岸のあちこちに炎が見えた
ことから名づけたものである。 それをビーグル号のメンバーも目撃した。
そして、その炎の存在がフィッツロイの人生を大きく変えることになるのであった。
(続く)
(2010.04.11 掲載)
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ホームズ殿
ホームズと名のる立場で自己の見解を文章に著すと言うことは、二重に衣をまとうようで身動きができにくいのではと
普通には考えるけれども、どっこい、そうでもない。
人間の心理は多重的に入り組んでいて、嘘など微塵もない正直な人間でも化粧したり衣装を取り替えたりする。
ちがった人間になりたいという願望は根源的なものかもしれない。
化粧することも異性を意識することもなくなった心境の人間はいまこそ、真に自己との対決を余儀なくされる。
自分でない架空の衣を纏うことで、うわべの自己の殻を脱ぐことができて、真の自我に立ち戻れる。
まったくもっての自由ということの極みはここにあるのではと考える。もう、空も飛べるし雲にも乗れるのだ。
そうだろう、ホームズ。
ワトソン
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編集者慎太郎さま、
お粗末ながら、私の未熟な作品を送ります。
3部作のつもりですが、掲載不許可になっても憤慨しませんので、ご心配なく。
*** 創作 花話(その1)***
女性が3人おしゃべりをしていた。
全員、白髪が目立つ年齢であるが、アイルランド、エストニア、日本と出身が異なる。
話題が花におよんで、文字通り思い出話に華がさいた。
その1) アイルランド人の思い出話。
ほら、私が教会の祭壇に飾る花を担当しているのは知っているでしょう。
毎週、花集めに苦労するのよ。
うちの小さな庭の花だけでは足りないので、よくご近所の庭から”ちょっと借りる”のよ。
皆よく知っていて、無断でね。
ところが、あれは20年以上も前になるけど、ある土曜日の午後だったわ。
通りを歩いていたらとってもきれいなお庭のあるお宅に通りかかったの。
翌日の礼拝にぴったりの石楠花が目に付いたのよ。
”教会に飾りたい” と説明したら、誰も断る人は居ないというのが私の信念なので、見知らぬお宅だったけど、ドアのベルを鳴らしたの。
そしたら、上品な老婦人がでてきて、親切に庭を案内してくれたわ。
あれこれ軽いおしゃべりをしながら花を選んでいたら、「ところで、あなたはどちらの教会ですか?」と訊かれたのよ。
そのとたん「セントアグネスチンです」という答えが私の口からでたの。
それは、うちの娘が当時通学していたカトリック学校が属する教会の名前なのよ。
私自身はバプテスト教会に通っていたんだけど、それまでのおしゃべりで彼女はカトリックだというのは察しがついたので、
話をあわせたほうがよいと、私の頭がとっさに反応したのだと思うわ。
そうしたら、思いがけない言葉がかえってきたの −「まぁ、奇遇ね。 私も同じ教会よ、、、あのホーガン神父はとっても良い方で、
まさに神様からの賜物といえると思わない?、、、」
あんなに罪悪感に襲われたことはなかったわ。 あのご婦人は翌日教会に行って、私がどこの席に座っているかしら、花はどこに飾って
あるかしらと探すだろうとおもうと、身がちじまる思いだったわ。
嘘をついたのは私の人生であれがたった一度よ。 あれ以来嘘などついたことがないわ。
(続く) =2010.06.06投稿=
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読者投稿
アイルランド人の花に寄せるお話は興味深く読みました。
教会にお花を飾るという一般信者さんの行為に暖かい人間的な美しさを感じました。
ところが、所属する教会がいろいろあって、思わず嘘をついてしまったというところに
デリケートな心づかいという、異国民(私)ではすっかりとは理解できないであろうも
のを読み取りました。しかし、最後に深い悔恨に苛まれた箇所で私の心の深いところが、
清められました。
しかし、
あれ以来嘘はついたことがないという箇所で、私はまた元の私(嘘も方便)に
戻りました。内容の深い作者の次回作が楽しみです。
嘘をも愛する女性
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*** 創作 花話(その2)***
エストニア人の思い出話。
花といえば、わたしにも思い出がありますよ。
あれは私が小学校5年だったとおもうけれど、ガールスカウトの集会にでかけたのよ。 それが5月でちょうど母の日と同じ日だったわ。
集会が終わったあと、仲良しの友達と一緒にグッドアイデアを思いついたの。 あの頃は母の日というとプレゼントはお花ということに決まっていたものです。
でも花を買うお金が無いから、二人でご近所を回って庭に咲いているお花を1、2本ずつもらって歩くことにしたというわけ。
一軒ずつドアをノックして、「お母さんにあげたいのですが、お庭の花を一輪いただけますか?」とお願いしたら、その効果のあること、
またたくまに私たち二人の腕はお花で一杯。 そこで、はったと思いついたの。 お母さんたちにプレゼントにするにはもう充分。
余分のお花は売ったら、お小遣いができるじゃない!!
誰の悪知恵だったかって? 友達は私より一つ年上で、「ほら、あたしがお花を全部かかえてこの藪に隠れているから、あなたは空手でもう
一軒ドアをノックしなさい」と私に命令したのは彼女で、その言葉に従ってドアをノックしたのは私だから、多分友達が一枚上手だったと思うわ。
というわけで、私たち二人は母の日のプレゼントを確保するのは勿論、お小遣いもひねり出したというわけ。 =2010.06.07掲載=
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読者投稿
母の日にプレゼントしたいけれどもお金がないということは時代を
越えてごく普通のことです。最近の身近なできごとですが、十歳に
満たない幼児達は母親に絵を描いてプレゼントしています。
それから『お手伝い券』というものや、『肩たたき券』なるものを
発行したりしています。お金要らずのアイデアです。
なんでもこれに便乗した祖母が孫の誕生日にお金を使わずに『カル
タ取りお相手券』とか『パソコンでのお絵描き券』なるものを発行
しているのを見ました。日本経済の不透明な部分を国民は怒ってい
ます。なんでもかんでも、お金を出すということに疑問を感じてい
ます。エストニア人は幼い時からプレゼント以外にもお小遣いもひ
ねリ出したとはアッパレというべきでしょう。老婦人になられても
きっと傾聴にあたいする経済談義をおはなしいただけるでしょうね。
年金ぐらしの老人
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*** 創作 花話(その3)***
日本人の(口に出さなかった)思い出話。
花といえば、私にも思い出があります。 あれはまだ私が結婚していたころでした。
夫は歌うのが趣味でよく教会礼拝のときには独唱をたのまれたものです。 そのお礼として聖壇にそなえられた花束を頂くのが慣わしでした。
ロマンチックな彼はそれを喜び勇んで自宅に持ち帰り、私にプレゼントするのを楽しみにしておりました。
ある日曜日、帰宅してニコニコ顔で2輪のピンクのバラを差し出しました。
「今日は花束がなかったのでガッカリしたんだ。 そしたら教会の花壇にバラが咲いていたのをみつけたので、藪を乗り越えて君のために2輪失敬してきたよ。」
ところが、敏感な私の鼻はバラの芳香のみならず、芳しくない匂いも嗅ぎつけたのです。
そこで、問いただしてみたら、なんとバラに執心して足元をよくみなかった彼は藪の中で犬糞を踏みつけたらしい。
まったく彼らしいエピソードでした。
彼は芸術肌で実際的なことには全くうとい。
いちど電灯スタンドの光が消えたとき、彼はスタンドに埋め込まれた電気コードを取り替えようとして、さんざん苦労したが無理だった。
そこで私が「電球を調べてみたの?」と言いながら、新しい電球を挿入したら、光がパッとついた。 そんな彼であった。
結婚のプレゼントとして彼は新妻の私に中国製の刺繍ばりの絹ショールをくれた。
ところが、それを購入するのに彼は給料を使い果たし、新婚2週間は一文無しで生活することになった時の私の驚き!!、、、
でも、今ではすべて遠い思い出です。 薄い綿菓子をすかして観るような光景です。
(了) =2010.06.08掲載=
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読後感想
日本人の思い出話は前の二編とはかなり違っている。
結婚していた頃という出だしから、離別した男性の
思い出を花を媒介に語るところに甘美な切なさを感
じる。彼の並外れた美意識に感動しながらも実務的
なことが目先にちらつく主人公の姿を想像して切な
くなる。人生を共にする縁というものが薄い間柄な
のであろうと東洋的に考えてしまう。最後を薄い綿
菓子をすかして観る光景というところに、何もかも
超越した主人公の安定した心情を読み取れて嬉しい。
一読者
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編集部より
***創作 花話***を寄稿された方。
匿名ご希望ですが薄謝を差し上げたいので編集部までご連絡ください。
尚、175では各人によるリレー連載を計画しています。
才能ある新人の登場を希望しています。
175の続きの草稿を募集しています。
疑問の点は編集部にお問い合わせ下さい。
またたび別館編集長代理 池之端慎太郎
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