173 ホームズから(進化論の船長について。その2)

             

                

さて、フィッツロイは1805年に貴族の血統につながる英国上流階級に生まれた。 
14歳の時から彼は海軍にはいり、才能があったうえにコネのきく親戚もたくさんいて、彼の出世は素早いものであった。 
そして彼がビーグル号の指揮をとるように指令されたのは1828年、22歳という若さである。 
ところがその昇進の背景には悲劇的な出来事があった。 前任の船長が突然自殺したための昇進であった。 

平和で戦争に従事していないときには英国海軍はその能力を地形測定、海図作成に活用する。 
1826年ごろはビーグル号をふくめて3隻の英国海軍船が南アメリカ南端の海岸線を詳しく調査するようにとの指令をうけていた。 
300年前にマジェランが東側から西側にぬけるマジェラン海峡を発見しているが、詳細な海図は存在しなかったので、
それを作成するという意欲的なこころみであった。 
ところが、あのあたりはパタゴニアと呼ばれる寒い荒地、地形が複雑なうえ、海流が激しく、水路は狭くて暗礁が無数にある。 
さらに南緯55度にも至って、年中気温が低くて強風が吹きすさぶ。 
定住している文明人は皆無なので、調査は至難という地域であった。 
嵐のため船員を失うということも数度あった。 
あの地域の海岸を左右往生すること2年、それでも調査が完了するめどがつかず、前任の船長は絶望のあまり
拳銃を使って自らの命を絶ったのである。 

その結果のこされた船員と船を率いて調査を終えるようにと、若いフィッツロイが指令をうけることとなった。

(続く)         (2010.04.07掲載)

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ホームズへ
古いミステリはしらない。週刊誌連載のミステリはわりと好き。
だから当然、ホームズさんのことは知らない。ごめん。
ばあちゃんが シャーロックさま、シャーロックさまと有難がっているので読んでみた。
あたし的には、もっと面白く書けないかなあという感じ。
ばあちゃんが崇拝する人にケチをつける気はないから気にしないで。
外国の古い切手はかっこいい。
このシリーズは切手写真でなんとか体裁できてるかなあ?
あの切手、高いだろうなあ!
でも、切手集めに趣味はない。
     読書好きでない娘より

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読書の好きでないという娘さんへ

ホームズを知らないのは人生の損失であることを忠告する。
シャーロック ホームズこそ我々人類の叡智であることを知るべきである。
引退して悠々自適なホームズが我々のために、書き送ってくださることを心から感謝せねばならぬ。
地図を片手にマゼェラン海峡を捜してみたまえ。
君の人生はきっと今まで見えなかった光景が見えてくるだろう。
     暇人より

           パン食えば サイレン鳴るや ワンルーム (季語なし)

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編集部 
慎太郎殿
 募集の創作小品です。ご批評ください。

  <古銭の行方と巨大戦艦プラモ>

女は夫を長い介護の末に見送った。 自転車を乗り回す体力も身支度を整えて外出する機会も失ってしまっていた。
裏庭を耕して少しの野菜と花々を育てて静かにくらしていた。
トマト、キウリ、ナスと季節の花を嫁いだ娘にやるのが最大の楽しみだった。
女は近くの野菜に魚介、果物に菓子、その他の日用品を置いて商っている小売店の家族と仲良くなって、まるで、雇主でも
あるかのように便利にその家族を使っていた。スーパー全盛の時代によくぞこんな店が残ってといぶかしく感じる店である。
女が刺身が食べたいといえば、主人が朝の仕入れに活きの良い魚を仕入れてくる。
焼き魚を食べたいといえば、自家用の調理に一緒に焼いて持ってくる。きんぴらを多く作ったからといっては持ってくる。
なんでも店屋の家族関係にわけがあって、主人夫婦が商売をしているあいだは、近くに住む女房の妹に台所のまか
ないをさせているという。妹は姉の店が仕入れて残ったもので食事のしたくをして、公認で自分の家族のおかずも
分けて持って帰るという。持ちつ持たれつという関係なのに、どういういきさつか、女も別格で混ぜて貰っていた。
女の身辺から漂う侵し難い気品に惑わされて、この家族は使用人という地位に甘んじているようだった。
姉の店から魚野菜を調達して二家族ぶんのおかずを作ってその一部を内緒で風来坊のような自分の亭主に自転車で
届けさせる。女は風采のあがらないパチンコ通い風体の妹の亭主をもアゴで使っている風であった。きんぴらやゴマ和えを
ちょろまかして自転車で運ぶ男にタバコ代と称して小銭を握らせていたに相違ない。老齢化した女に親切にしてくれる
近所の善意の人々という図式は 女の方の勝手な解釈で 、小商人家族の方が一枚上手でないわけがない。
女の振りまく良い暮らしをして来た大奥様らしさにたぶらかされている風に見せて、陰ではきちんとそろばんをはじいていた。
庶民のくらしをしていては手が届かない品々を女はシコタマ押入に蓄えていた。長く呉服屋勤めをしていたからである。
飯炊きとして姉の家族に奉仕している妹には、時々に心づけ風に袱紗(ふくさ)や香り袋をあたえていたし、
更に前渡しふうに小金も渡しておおようさと気前の良さも演出していた。
おそらくは、勤め上げた呉服屋の女主人の手管と地主の寡婦だった母親のしぐさとを真似たものであろう。
女の家族、特に息子は金をバラまく母親を嫌い、嫁いだ娘は小商人に足元を見透かされていいように扱われていることを
危惧した。主人公を演じることの好きな女であったわけである。(続)            =2010.05.19投稿=

女というだけで名前を付けていなかった。考えてみたが女と呼ぶのがいちばん妥当に思う。何故ならば彼女の人生は女性とい
う性を時代の流れの中で必死に生きた結果にほかならないからである。聖書でいえば最初の女イブである。嘘をつくのも自分
に忠実
だからである。彼女は決して自説を曲げない。何故ならそれが正しいと信じているからである。こんな、書き手の説明
など面白くもなかろう。<古銭の行方と巨大戦艦プラモ>と仰々しい題をかかげたが、これなら読者だって面白がって読んで
くれるだろうし、女の晩年を伝えるエピソードとして最適だと考えたからである。
長い介護の末に見送った夫のことを少々語らせてもらう。女に対して男というべきであろうから以下、男と呼ぶ。男には記念
切手と記念硬貨を収集する趣味があった。明治生まれの男は商家の出であることと関係があるのか古色蒼然とした古銭も多く
所持していた。古銭は多種に渡っていて値打ちものにみえた。ここからは書き手の想像の世界に歩を進める。(続)
                                             =2010.05.21=

姉の家で飯炊き女を勤めていた気の良いおばさんは子供達を立派に成人させていたが亭主はなにかしらの職人であったのが体
をこわしたか、仕事をしくじったかでぶらぶらしていた。自転車をゆっくり漕いで町内をうろつく姿はだらしなく見えた。
気の良いことは抜群であることは確かであるらしい。そうでなけれえば、姉の家庭で店番や飯炊きをしている女房の裏の使い
走りなぞすまい。裏の使い走りとは、女房が二家族のために煮炊きしたおかずをちょろまかして女のところに運ぶことであり、
表の使い走りは女が正規に電話した店からの買物の配達である。 女はこの一連の店の連中には気前のよい老婦人として君臨
していた。嫁いだ娘が老母の行動が常軌をいっしたものにならねば良いがと気をもんでいたところ、やはり事件はおきたのだ。
                                             =2010.05.22=

いつもながらに女房の使いでおかずを配達して来たおっちゃんに女は主人の残した古銭や記念コインのことを玄関先の立ち話
でしてしまった。主人を骨董趣味もある重みのある男に仕立て上げたのだが、どっこい、とんだ目が出てしまった。
おっちゃんが友だちにその道の専門家がいるから目利きを頼んであげるといいだし、調子に乗った女はその話に乗ってしまった。
結局のところ数万円ですべてを手放してしまった。女の着物はまったく欲しがらない娘も亡き父親の遺品である古銭の類は孫に
譲り受けたいと下心があったので怒ってしまった。何故相談してくれなかったのか、お金にしたいのならそう言ってくれれば
よかったのにと嘆いた。亡夫が大切にしていた品々をいとも簡単に手放した女の心理を想像してみると、相手役を得て主役を
演じられるチャンスに飛びついたということであろう。おっちゃんが幾ばくかの紹介料を懐にしたのではとは、さもしい想像
である。『古銭の行方』と題したけれども言ってしまえばこれだけのことだ。             =2010.05.24=

もうひとつの方の『巨大戦艦プラモ』も似たような内容なので書く意欲が失せた感じである。しかし、物書もどきが一度書くと
高言したからには書く。今度は肩の力を抜いてヤクザな気分で書く。もともとが、文部省推薦のような人間がヤクザな気分にな
れるものなのかが面白いところと前宣伝しておこうかな。(文部省推薦などと時代がかった言葉の出るところがオモロイ)
女は美容院と床屋が好きである。両方とも古くからの馴染みの店があるがこの度は床屋に舞台を設定する。床屋とは髪結い床の
なごりの名称で今どきは理容所というが、女の馴染みの店は主人も亡くなり、老妻がひとりでは客もさばけなくなったので店を
半分たたんだ。半分たたんだというところがミソで、女はこの店の最後の只ひとりの常連になった。説明を要する事態をこれか
らじっくり話そう。                                        =2010.05.29=


女は数日前に指定の日時を床屋の婆さんに電話する。婆さんは、女のために店を暖めタオルを蒸して待っている。ただ
ひとりの客として店を借り切って顏にカミソリをあてて貰う。よもやま話に花が咲き女は得意満面のひとり語りを盛り上げる。
ここで舞台の女優の役どころは、勿論女は客であるから主人公である。脇役をつとめる婆さんより女の方が十歳は上であるこ
とを読者は知って欲しい。婆さんは曲がった腰をかばいながら女のシワだらけの顔に石鹸泡をたて蒸しタオルを載せる。この
あたりは、さしもの女も黙るであろうが蒸しタオルをはずされると喋り出す。ふたりの娘の自慢にはじまり、悠々自適の隠居
ぐらしの寂しさと、健康自慢に、そうそう十八番の女学校時代の思い出に、共通の戦争のはなしに、また最後は娘自慢に戻る。
ふたりの老婆は数十年も演じ続けた役を心底楽しんで半日を過ごす。なんぼ丁寧でも半日もカミソリを握ってはいまい。そこ
はそれ、ぬかりない女は近くのラーメン屋に二人前の出前を頼み気前の好いところを抜け目なく演出するのである。
老婆がふたり、それぞれの役を心底楽しんで演じるのだから罪もない、どちらかといえば心あたたまる話である。ところが
意外な方向に駒だ出ることもあるのだ。                                =2010.05.30=

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編集者慎太郎さま、

前半の「古銭の行方」の部分を読ませていただいたところで、
後半の「巨大戦艦プラモ」の部分を楽しませてもらっています。 
「今度は肩の力を抜いてヤクザな気分で書く(引用)」という
ところから、文章が一段と生き生きとしてリズムが感じらる。 
創作者は手元にある材料に忠実であろうとするよりも、それを
きっかけとして、空想の世界に翼をひろげるときにこそその才
能がいっそう発揮されるようである。そのときの語り口(書き
言葉というよりそれは話言葉となる)は講釈師の節回しになっ
てくる。 創作者が落語フアンであることは想像にかたくない。 
ご本人は「文部省推薦のような人間がヤクザな気分になれるも
のなのか、、、(引用)」とのたまっているが、”文部省推薦”
という形容詞がどのようななりゆきでヒョッコリと創作者の心
に浮かんだのか、この読者にはまったく不可思議である。 
巨大戦艦プラモが二人の老女といったいどんなかかわりがある
のか、興味をもって話の展開をまっている。

ところで、前半部分に「女は、、、最初の女のイブである」と
いう表現があったが、あの女は”禁断の実”を味わった後のイブ
であろう。 自然の神の恵みを見失って、そのかわり、金銭や
衣装や見栄に目をうばわれるようになったイブである。 
あの迷いを解く解毒薬というものがこの世にはないのであろうか?      一読者       =2010.05.30投稿= 

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我が戯作に感想をくださった一読者よ、まったくもってその通りである。古来、バカにつける薬はないということになっておるが、
昨今は医療事情もさまがわりしてきているようだから、あきらめるのは早計であると言われるかも知れない。
まあ、大きなつづらを背負い込んでよたよた歩く欲張り婆さんには取りあえずの解毒剤は望み薄であると戯作者は解する。
この欲張り婆さんの背負い込んだ大きな物はつづらではなく、戦艦大和だったから可笑しかろう。
まあ、例によって嫁いだ娘の噂話や店をたたんだ呉服屋の老女が道が判らなくなって家に帰れなくなった話など一巡したあとに、
嫁ぎ先の娘の主人が仕事を譲って隠居生活をしていることを訊ねられて「趣味がレール敷いて電車を走らせたりする工作なので毎日
工作して楽しんでいる」と見て来たようにはなしたと思ってくれたまえ。何気なく娘の亭主の差障りのないことを述べたつもりが
数日後にとんでもないことに発展した。 床屋の婆さんから頼まれたと称する男が訊ねて来た。
何でも長い間、プラモデル屋を商ってきたが、ブームも過ぎて客足もほとんどなくなったので店をたたんだのであるが、店先の
ウインドウに飾った大型の高価な軍艦の類の処分に困っていたのだが、工作好きの人を紹介して貰ったので、是非貰ってくれと言
う旨を告げられた。もうすっかり箱の絵は変色しているが、プラモデル全盛の数十年間、店の威信を賭けてウインドウに君臨した
両腕でようやく抱えられるかどうかという巨大な軍艦二隻、いや二箱。
店晒しのこんなもの、新しもの好きの娘の亭主に差し出せるわけがないと思いながらも「今ではビンテージ物ですじゃ」の男の
意味の分からぬ言葉や、その道の好事家にはよだれの出る品と聞かされて、心は千々に乱れたであろう。
大きさだけでも目を剥く箱であるから、大風呂敷に包んで背負えば、欲張り婆さんの姿を彷彿させる図である。
このふたつの大箱を受取った娘夫婦の困惑を想像してみたまえ。白内障と緑内障で通院している御亭主の心優しい狼狽ぶりは次の
機会にしよう。(了)                                       =2010.06.02=

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 編集部より
   投稿作品は174以降にもゾクゾク掲載する予定。
   初心者、セミプロを問いません。
   完成度の低いものこそ歓迎。 (慎太郎 )

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読者投稿

編集者慎太郎クンへ、

このエピソードには思わず苦笑した。 
”欲張りばあさん”というよりは幼女のような世間知らずの
あどけなさを思わせたくらいだ。 
歳をとると人間は幼年時代にかえるというが、可愛いではな
いか。 
全く見知らぬ元プラモデル店主の訪問をうけて、余裕のある
生活をしている女の役を演じる以上に、娘婿に稀有のプレゼ
ントをできるかもしれない、と思いこんだ女、、、全く可愛
いではないか。 模型汽車と模型戦艦は全く異なったジャン
ルにはいるということは彼女の頭には浮かばない。 
”戦艦”というものが意味することは個人によって大きく異
なるであろうことは老女の心では思いもつかない。 
被爆をうけた広島生まれの人間が”巨大軍艦モデル”を作成
して誇りにおもうとしたら、それはキリストが水上を歩いた
と同じぐらいに稀有なことであろう。 
あのプレゼントは女の亡くなった夫(達)に最適なものであ
ったかもしれない。 しかし、あの場合は彼女のまったく誤
った判断であったと僕は思う。 娘夫婦の困惑は思い余る。 
(あの女が二箱のプラモデルにいくら払ったかは訊かないこ
とにしよう。)

男性読者            =2010.06.02投稿=

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読者投稿

わたしは女子の高校生です。
亡くなった祖母を思い出しながら読みました。
人間は老いて死んでいく運命にあるのですから、みんなが
好きなように生きられれば一番良いとおもいます。
『古銭の行方と巨大戦艦プラモ』を読んでそんなことを考
えました。
主人公のちょっと並はずれた行為には家族はハラハラする
でしょうが、他人から見たら愉快です。
おばあちゃんの 頭を使った生き残り作戦だとおもいます。
子供も老人も世話をかける存在かもしれませんが、大人は
もうすこしだけ余裕のある優しい目で見て欲しいものです。
悪いことも良いことも何にもしない無味乾燥な子供や老人
を社会は望んでいるのでしょうか。

女子高校生
          =2010.06.03=

 









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