168 ワトソンの東京暮色(手紙が来た、続)

 
                    
                     (写真は上野公園の早咲き桜)


隣人を愛そうとおもっても、気がつけば憎んでいる自分を発見して愕然とします。
生まれもった性質が不器用なことを認めないわけにはいきません。
母は言いたいことを思う存分言いつのって、結果として他人の愛を勝ち取る。
そのような現場をもの心ついたときから見てきたわたしは母を尊敬し自慢 におもってきました。
しかし、それは母の特質であって、わたしとは無関係なことを知る時がきました。
母親と相容れない性格というか、まわりの人間とどうしてもギクシャクしていまう自分を知って
愕然としたものです。母の愛にぬくぬくと包まれていた時分のわたしは幸福でした。
わたしが愛情であたりの人を包む段になったら、こわれていくような心細い自分であることを
知りました。母のようにはどうしてもなれないのです。
だから、母がワトソン先生に色々なことを聞いて貰ったらという言葉にさえ、秘かな反感を覚え
てしまいます。ごめんなさい。
このように、ねじまがった感覚の自分が嫌で嫌でたまらないのです。
母のすすめでであれば、ワトソン先生にはお会いしたくないというのが正直な感想です。
でも、もっと正直になってみますと、このようにお会いすることをお断りするお詫びのお手紙を
書いているうちに自分の心持ちが整理されたようで久しぶりにすっきり致しました。
先生にはお礼申し上げます。やはり、母にも感謝するべきなのでしょうね。
今日はひとまずこれでペンを置きます。  敬具



                                 (2010.02.15)


    


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