167 ワトソンの東京暮色(手紙が来た)

 
                    
          (写真は東京ドーム付近の観覧車からの情景。歩く人が蟻のようにみえる)


ワトソン先生 
先生のおうわさは子供のときから母に聞かされております。母にとりましては先生は亡くなった
わたしの父親と同じ時代を生き抜いてきたお仲間という意識をもっているように感じます。
娘のわたくしのことをワトソン先生にどのように話しているのかだいたいの見当はつきます。
「良識のある家庭で何不自由の無い結婚生活をしていてなにが不足で晴れない顔をしているのか」
というふうなことを先生に話したでしょう。「真面目一方で遊びがない」とかも申しましたでし
ょう。 母は善意の人ではありますが、あまりに自分中心なのです。自分の善意をあたりかまわず
振りまく人なので、まわりの人間は迷惑してしまうことが多々ございます。
ワトソン先生にもご迷惑をかえりみずに、娘に会って相談にのってくださいとお願いしたのではと
推察致します。そこで、お手紙で母の失礼をお詫びして、わたしには、ことさらにご相談すること
などないことをお伝えしたくお手紙を書くことにしました。
母のように何でもあからさまに話すということをわたしは好みません。家庭内のあれこれはどこで
もあること、目新しい事件ではありません。「自分を愛するように隣人を愛しなさい」聖書には
いちばんめの戒めとして書いてありますが、これは簡単にはできないというレベルのものではなく
絶対実行不可能なことなのではないでしょうか。
簡単にできることを、一番の戒めにはしないでしょう。
国と国とは争い、会社と会社はしのぎを削り、子供は子供で成績を競う。
生きるということは、戦うということなのかもしれません。
わたしは、最大の戦いは自分が自分と戦うということではないかと思うに至りました。
許せないのは他人ではなく、自分自身なのです。 (続)


                                 (2010.02.10)


    


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