148 ワトソンの住んだ家々(岡山)




ホームズ殿

岡山県のライ患者を収容した療養所の医師として新しい環境に飛び込んだ。
台湾の陸軍病院では防空壕掘りの指揮にあけくれ、引き上げ時には軍医の名の基に
一般人200名を指揮して帰国したとはいえ、医者としての臨床経験は皆無に等しい。

ライ病患者収容施設では、医者としての経験が不足していることを承知で受け入れて
くれた。すべてを教えてやるからという約束であった。医者不足だったのだ。
あたりの空気にも馴染めずギクシャクしていた時に広島裁判所から呼び出された。
ヤクザまがいの連中と起業家気取りで浮かれていた時のツケがきたのだ。
被爆後の復興いちじるしい広島の歓楽街の中心部にこともあろうに『100万ドル』
というぼくのネーミングでパチンコ店を開いたのであった。

拘置所という所も経験した。
打ち明ければだねえ、広島でとある機会に女医さんと出会ったと思ってくれたまえ。
女医さんには遊び人のご亭主がいた。
このご亭主が無類のお人好しという類いの男で、この男がぼくに特別なる好意を寄せ
てくれて、女房殿の稼いだ金をぼくに融通してくれたと思ってくれたまえ。
ぼくが無心したわけではないのだからといっても、結果としては踏み倒したのだ。
この男が、訴訟をおこしたのだ。女房殿の差し金かもしれぬ。
広島拘置所に拘留された時、 担当の検事がぼくに同情して不起訴処分にしてくれた。
ぼくは世間知らずな若者であったのだねえ。

そういえば拘置所では老医師と出会ったなあ。
病院経営の温厚な老ドクターの罪状はなんでも、金の延べ棒を持っているのを財産隠し
と見なされて、脱税容疑なのだそうだ。
ところが面白いのは、拘置所で腹痛とかの病人が出ると「先生お願いします」と懇願
されるのだ、脱税容疑の老医師は。
ぼくには2週間のあいだに、そのような依頼は一度もなかった。

ワトソン

 

 

 

 

 

 


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