143 ワトソンの住んだ家々(台湾台北の続々の続)





ホームズ殿


卒業後の台湾の基隆(キールン)陸軍病院での思いでをひとつ。
時の台北帝大医学部長は森鴎外の長男で解剖学者の森於菟(もりおと)博士であった。
上級生には、彼の長男の真章(まくす)がいた。

軍医予備員に徴集されていたときのことであった。
ある日、このマクスがぼくの所に訪ねて来るという伝言があった。
部屋で待っていると、マクスは当番兵に自分専用の椅子を持たせて訪ねて来た。
椅子持参の訪問で、まず、ぼくは度肝を抜かれてしまった。
マクスは紙にくるんだ飴玉を持参して、ぼくにすすめて、自分も口に入れた。
別段の用事のない訪問だったと思うのだが、彼に何かの下心があったかということは
当時は読めなかったし、本当はそんなものもなかったろう。
ちなみに、マクスは食べ残した飴玉を持ち帰られた。
彼の御母堂が台北から訪ねて来られた時は、軍医予備員の仲間たちは鵜の目鷹の目で
あった。
なんとなれば、ぼく達の学部長の息子であり、陸軍軍医総監にして文豪である森鴎外
の直系の孫であるマクスの母親との面会である。
「おかあさん、マクスです、と言って無表情で突っ立っていた」という目撃情報が
はやてのように陸軍病院内を駆け巡った。
当時のぼく達から見たら雲上人のような森鴎外一族に対する好奇心は押さえられなか
ったのだね。
マクスが庶民的に母親に駆け寄って歓喜の表情を表したら、それはそれで学内を駆け
巡る情報になっただろう。
マクスは風変わりな人物としてわれわれの記憶に残る人物であった。

マクスの母親との面会の様子を好奇の揶揄がかった若い衛生兵全員の目として記憶に
残っているのは、もしかしたら、ぼくだけの独自の記憶なのかもしれない。
ぼくを手放した後に若くして亡くなった実母を恋うる心持ちが醸し出したぼくだけの
幻想なのかも知れない。
ぼくの切ないジェラシーだったのかと今は想えなくもない。

ワトソン


 

 


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