ホームズ殿
郷里の島根県大田市の友人から電話がきた。
竹馬の友といえる旧友の永井君からで、ぼくが打ち捨ててきた恰好の故郷の島根の
墓場の大木にからすが集まり、近在の村人が困っているというのだ。
島根県を郷里と呼んだのには、宇和島を引き揚げてからは、小学から高校までを
過ごした地であり、結婚して弘前に本籍を移すまでの本籍の所在地でもあったから
である。
原爆でなくなった広島の生家の方は、幻の故郷である。
時は直腸ガンの術後だが、すぐに診療に戻って前にも増して忙しく働いていた。
息子達は二人とも東京で学業にはげんでいた時期である。
竹馬の友の永井君は、盆暮には、ぼくの見捨てた故郷の墓関連の世話をしてくれていた。
検事と養母を葬った墓は村の田畑の中央部分の小高い丘のような所に位置していた。
大袈裟に言えば丘ひとつが、地主一族の数十個の墓石が立つ墓地であった。
この墓地の古木が大木になって村中のカラスが群集するから、古木を切りたいがよかろうか、という
寝耳に水の話であった。うんもすんもなく、費用を負担するから大木を伐採する業者に頼んでくれるよう
依頼したのであった。永井くんは竹馬の友で、かれが軍隊から帰ってきて故郷に足を入れた時の最初に
出会った村人がぼくであったという因縁もあり、その後も青春を謳歌した仲でもあった。
年賀状とりんごを送ることに終始する関係くらいに疎遠になっていたのに、1本の電話で捨てた故郷を
訪れることになったのだ。
旅の本当の目的は養子とはいえ、旧家を継いだ当主であるぼくが、もう訪れることも無い歴代の先祖の骨
を引取って、墓場を村に寄贈するという業務のためであった。
秋の刈り入れ時で幼なじみの名前も忘れた友が新米の「こしひかり」を手土産にと持たせてくれたが
困ってしまった。
島根の「こしひかり」も変であるが戦時中でもあるまいし、米を担いでも帰れまい。
そこで、ぼくのしたことは墓場から引き揚げて集めて置いてくれた歴代の養家の先祖のお骨をまとめたの
と「こしひかり」とを一緒に宅配便で送らせたのである。
なんまいだ、なんまいだ。
ワトソン
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