ホームズ殿
昔住んでいたことのある宇和島の家が解体されずに、まだあったことを書き留め
るだけのつもりが、なんか興がのったというか、家にまつわる様々なことが思い
だされてきた。宇和島には六歳で養子に行って十歳くらいまでいた。
その間に検事の養父は病で亡くなり、伯母である養母と「ねえや」とのくらしに
なるのであるが、忘れ果てていた養父のことを書き留めておこう。
「ちんばでもいいから自分の子が欲しい」と酔ったときにでもふともらした言葉を
聞いた親父は、敬服してやまない義兄の言葉に自分の長男であるぼくをを養子に
やった。伯母夫婦としては地主としての相続の問題もあったので是非に養子は必
要なわけで、幼いぼくに白羽の矢が立ったのである。
検事の血縁のものが数人、養子縁組のはなしがあったがどの子も居着かなかった
らしいことは後年聞いたが後の祭りである。
実の甥なのだから、養母はぼくを可愛かったにはちがいがないが、愛し方が子供
を生んだことがないせいか、それとも、気性からくるせいかしっとりと優しいと
いう風ではなかった。ねえや達が長く居着かないという点からもうかがわれる。
親父からみては母親的存在の姉で気性の勝ったしっかりした女だったことは、
後に島根に帰って女手ひとつで地主として長年居た番頭を更迭したことからも
うかがわれる
。 しかし、ぼくは若い娘の「ねえや」に世話を焼かれて結構寂しくはなかった。
「坊さま、坊さま」とちやほやされていい気になっていた。
深刻になれないのが、ぼくの基本の性格らしい。
ワトソン
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