135 ワトソンの住んだ家々(宇和島市)


ホームズ殿

愛媛県の宇和島市を訪ねた。
同窓会の会場は松山市だったので出席の後に立ち寄ったのだ。
六歳で養子に出された先の土地である。
最初に出会った老婦人に道を訊ねて、昔住んだことのある土地を訪ねて来た旨を
告げたらすぐに打ち解けた会話ができた。
ぼくの通った幼稚園は教会を残すのみになっていた。
何と老婦人は幼稚園の同窓生で、それに日曜日だったので教会礼拝の帰り道だが、
案内をするからと道を引き帰って同行してくれた。

最初に船に乗って四国に渡ったときに、ボーという汽笛に驚いて小便を漏らされて
困った。という風なことを後年、親父から何度も聞かされたが、ぼくだって記憶し
ている。母親から引き離して養子に出したことを言葉で詫びられたことは一度もな
いが、親父とぼくの深いところのわだかまりとして一生涯あった。

どうして、養子先に居着いてしまったのか、生涯を通して自問自答してきたのだが
強いていえば居心地が悪くなかったのと、聞き分けがいいからだったとしか言いよ
うがない。
恋しい家族が広島に居るのに、親父の言いつけを守って居着いたのは、聞き分けの
良さが裏目に出たのであった。
「帰る、帰る」とどうして泣きわめかなかったのか、、、
母はそれを待っていたであろうにと、生涯の悔恨である。
養子先は父方の伯母夫婦で、養父は検事で当時宇和島に赴任していたのだ。
養父は検事であるが、実家は島根県大田市大家で石見銀山の近くの田畑を所有する
地主でもあったが、彼もまた養子であり、子を成さなかったのであった。
半世紀以上も経っているのに伯母夫婦とぼくが住んだことのある、門付き屋敷は歴然
と残っていた。
かって市長よりも高額給料を貰っていたという検事の仮住まいは、しかるべき人が
住んでいるらしくきれいに庭木も手入れされていた。
しかしもうすぐ解体されるということで、きわどいところで家を見ることができた。

おおきな電気機関車を買って貰ったぼくは機関車に夢中で広島の生家に帰ることを言い
出せなかったのか、バカだなあぼくは、ホームズ、情けないだろう?


ワトソン

 

 


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