132 古き友を尋ねて(Dr. M.Eのケース)




(その5): Dr. M.E.のケース

M.E.は定年退職した言語学の教授で、ここからフェリーで3時間半ほどかかる
ビクトリアに住んでいた。 
彼の自慢は3〜4月あれば彼は全く新しい言語を習得して、それを教えることが
できるという才能だった。 

彼はフランス人の父親とイギリス人の母親をもち、子守はバスク人で、ピレネー山脈
のふもとで生活したという。 
それが彼の言語能力に強く影響したらしい。 
しかしそれだけではない。 彼はコンサートを開くほどのピアニストだったのだ。 
変わり者なのであまり友人はいない。 
そこで僕がビクトリアに足をのばすたびに、彼をランチに誘うことにしていたのだ。 
体調がおもわしくないとこぼしながらも、テーブルに座って言語の話を始めると
興奮して、手元のナプキンに活用を書き始める。 
日本語とフィンランド語がいかに同類の言語であるかと論じはじめるのだ。 
音楽と言語を話題にできる友達に会えて、とても嬉しかったようだ。

2年まえであろうか、ビクトリアに着いたとき彼のアパートに電話した。 
留守番電話である。 
めったに出かけない彼なので、いささか変だとおもったが、メッセージを残した、 
何の返事もないので、翌日また電話をした。 
そうしたら、その電話番号は使用不可能になっていて、メッセージも残せないのだ。 
たった一日のうちになんと言う変化であろう? 
その翌日に謎が解けた。 
彼の数少ない友人が電話をくれて、彼が数日前に亡くなったことを知らせてくれた。
彼は90歳だったろうか。

教訓: 人生、機会をのがさないこと。 とくにこの歳になったら、なおさらのこと。

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