親愛なるワトソンへ
「愛こそいのち」とは真に恐れ入った。 大学や高校在学中の若者ならともかく、歳
のせいで視力がおとろえて趣味の模型作成もままならないほど人生を経験した君の口
からそんな言葉をきくとは。 これは僕の失言だ。 君の感性は人生経験にもとづく
というより、「ロマンを愛する詩人のこころ」を持ち合わせているという事実にもと
づいているのだね。 正直なところ、僕はその昔に詩を理解することを諦めてしまっ
た人間だ。 それは詩を見下げた結果だと思わないでほしい。 むしろ詩は僕のよう
に理屈っぽい凡人には到達しがたい高貴なものだと認識したからである。 僕はそれ
より格の低い散文の世界に属するようだ。 それでも詩に対する憧憬の念はまだもち
あわせているようで、読んで楽しい文章は“詩の心をもった散文”だと気づいた。
というわけで、詩の世界に息づくことのできる人間に僕は尊敬の念を抱くことを告白
する。
さて、カレン嬢についてであるが、ロマンに飢えている君に誤解されないようにした
い。 彼女は親しくしている家族の娘で、僕にとっては姪のようなものだ。 30代後
半になるが、あまりにも箱入り娘で育ったためにボーイフレンドがいない。 21世紀
ではなくビクトリア時代(英国のビクトリア女王の治世―19世紀半ばから20世紀はじ
めにかける)にふさわしい女性なのだ。 彼女の大好きな本がジェーンオースティン
の「高慢と偏見」だというのだから、察しがつくだろう。 勿論ジェーンオースティ
ンの文章は英文学の最高峰といわれているが、カレン嬢の興味は文体より、そこに描
かれた社会文化らしい。 つまり、クッキーを焼き、テーブルはきれいなテーブル掛
けとバラ模様の茶器をならべて、教会の老婦人たちを午後のお茶にもてなす、という
のが彼女の趣味なのだ。 男友達をもとめて外に出かけるなどと、彼女には思いもよ
らない。 母親譲りの美貌なので、通りがかりの男性が興味をしめすのもまれではな
いのだが、育ちのよい彼女はそれだけで怖気づいてしまう。 年老いた両親が内気で
社交生活の少ない娘を心配しているのをみて胸が痛んだ。 そこで彼女をコンサート
や野外活動に誘ってあげますよと僕が申し出た。 外に連れ出せば、誰かと知り合う
機会にめぐまれるかもしれない。
彼女をコンサートに誘うと、真っ先に「ドレスコード(服装規則)はどうですか?」
と質問される。 身なりをキチンとするのが淑女としての第一条件なのである。 言
葉遣いにも非常に気を使うので、社交会話がなかなかできない。 彼女は運動がすき
なのでアウトリッガーにも誘ったが、これに問題があった。 カヌーやカヤックのよ
うな小さなボートを操るさいのレッスン1はボートが転覆したときの対処である。
つまりボートをわざと転覆させて、こぎ手は全員水中に落ちなければならない。 そ
こからいかにボートをもとにもどし、はいのぼって水をかきだすかを訓練するわけで
ある。 彼女は僕よりずーっと水泳がうまい。 ところが、人前で水中に落ちてもが
くというのが彼女の想像を絶するらしい。 内気な彼女にしては珍しく「わたくしに
はそんなこと、とてもできません」と意思表示をしたので、コーチは訓練予定を変更
せざるをえなかった。 多分この特別訓練は彼女が欠席する日までまたなければなら
ないだろう。
というわけで、カレン嬢と僕の間にはロマンなど全く無縁である。 ボート訓練のあ
とに食事をご馳走してやるのも、内気の殻を破って外の世界に出てくることに対する
ご褒美のつもりだ。
ようやくボートの話に至った。 この次こそ僕の“おもいがけない経験”を話すこと
ができる。 それとも、ひょっとして、君はもう興味を失ったかも?
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