親愛なるホームズ殿
このところ、茶太郎の観察に明け暮れている。
「茶太郎がガラス窓を叩くのは君への愛情の表現である」とホームズに判断を
下されてからというもの、ぼくは今迄の茶太郎に無関心だったことを深く恥じ入り
彼に対する認識を変えたと思ってくれたまえ。
茶太郎はぼくが近づけば逃げる。
何気なく通りざまにからだに触れると身震いし逃げるのは、ぼくを嫌ってではなく、
ぼくの愛撫に感動で気も動転しての咄嗟の行動なのだと思うことにした。
飼猫になりさがらずに堂々と野生を残し持った茶太郎!
ぼくとて、もの心ついて猫の居ない生活をしたことがない。
この道(愛猫家)では豪のもの。
彼の母猫の茶ぴーも知っているし、その母猫のプリンも、その母猫のちびちゃろも、
その母猫のおおちゃろも、知っているのだ。4代前まで知っているのだ、ぼくは。
このぼくを茶太郎が嫌うわけがないではないか。
ホームズに推理してもらわずとも、ちょっと考えれば解ることだった。
ホームズにはいつも美味しいところを盗られてしまうんだな。
茶太郎が素直にぼくと愛情表現をしあうことができるように指導するのが
飼主の努めであり、楽しみでもあるわけだ。
茶太郎がぼくの愛撫を拒絶せずに喜んで身を任せてくれる
日を夢みて励んでいた。たとえば、彼は猫たちの中では
気の良い奴で通っているのだ。というのはどの猫とでも
連添って寝そべっているから。そこで何気ない振りで、
撫でられること大好きのプリンを
撫でるついでに横に居る茶太郎をちょっと撫でる。
愛撫の本命は自分でないのが分かるので、
大慌てで逃げ出さない。心のないお世辞なら、
受けてやらなくもないという、高等演技を
してみせる。面白いだろう猫という奴は。
ところがだよ、このように悪戦苦闘の愛の劇場を
繰りひろげているぼくに、ホームズ、君ときたら
「窓に寄ってきた虫を叩いていた」と、新解釈をだしてきたね。
ちょっと、待ってよ!
ぼくたちの愛の劇場はどうなるのだよ〜!
ワトソン |