親愛なるームズ殿へ
いやはや驚きだな。茶太郎がぼくに対する愛情表現で窓を叩いて
いたなんて。ぼくは茶太郎には好かれていないとばかり思ってい
たんだ。だって近づくと逃げてしまうのだから。しかし、ホーム
ズの推理を聞いて「そうだったのか、好かれていたのか、気がつ
かなかったな」と深く納得させられた。不吉なことの前兆でなく
て本当によかった。ホームズ、君の頭脳は昔のままだよ。まだヤ
キがまわってはいないよ。
君が余りに早く、茶太郎の奇妙な行動を解明してくれたので実は
拍子抜けしたことをも、打ち明けなければいけない。ホームズと
ぼくの間では隠し事はしたくない。というのはだね、茶太郎は七
歳になるオス猫だが母子関係に少しばかり複雑なものを抱えてい
るのだよ。問題の核心はだね彼の母猫にあるのだ。母猫は茶色長
毛の美しい猫なのだが、彼女は「くのいち」つまり、忍者猫なの
だよ。
ぼくの十数匹いる猫達のなかで3メートルもあるフェンスを乗
り越えて外の世界に出られるのは茶太郎の母猫、茶ピーただ一匹
なのだ。茶ピーはまさに卓越した運動能力と気迫をもつ忍者猫なのだ。ぼくは茶ピーを外に出さないために色々な
策を弄したがすべて失敗に終わったのだよ。早春に黄色の花をつけ、秋には美しい赤い実をつける自慢の「さんし
ゅゆ」の庭木を少しずつ切って、ついには幹まで切ってしまった。最初に忍者は木に登り、枝の天辺からフェンス
に飛びつくので、ぼくは枝を少しづつ切っていくより仕方なくなり、茶ピーとぼくの熾烈なバトルになったのだ。
最後のあたりでは茶ピーは猫とはおもえぬ唸り声をあげてフェンスに飛びついたものだよ。気がついた時には幹ま
で切ってしまっていた。
切り取ってしまったから、忍者は外出を諦めると思いきや、今度は垂直で上は「ネズミ返し」になっている3メート
ルのフェンスに駆け上るというウルトラ技をやってのけた。これとて只見ていたわけではない。フェンスに爪の立た
ないプラスチックの板をはめたりしたが忍者はものともせずに気合いをいれて駆け上ってみせてくれたよ。これらの
過程でどの猫の追従も許さなかったわけである。彼女の聡明な母猫プリンでさえ、枝を切り取っていく過程で落伍し
たのだ。猫とは思えぬ尻餅をついて落下したのだよ。赤い実が潰れて血を流したかと思ったものだ。それ以来、茶ピ
ーはフェンス越えのスペシャリスト、つまり忍者猫になった。ぼくも覚悟をきめた。近所で犬の食事を横取りして食
べる茶猫がいるという苦情があれば、駆けつけてお詫びを述べる。忍者猫の自由行動は阻止できない。
このような茶猫の息子にうまれた茶太郎は屈折したものを感じていないだろうか。猫は人間とはちがうから、マザコ
ンなんてないだろうね?近所では「猫イラズ」を食べて死亡する猫が続出しているのに、ぼくの茶色猫はまったく健
在なのだ。彼女は縄張りを巡回して、小鳥やネズミをつかまえ土産にし、裏の墓の供え物の菓子も持ち帰ることもあ
る。外からだけ押して入れる扉をつけて、彼女専用入口を作ってやったので楽にフェンス内に帰れるのだよ。
勝手にガレージにねぐらを確保して、フェンスの外で悠々としているが、食事はフェンス内で一緒にする。だから、
日に何度も出たり入ったりで、フェンスを何遍も駆け上っているわけだ。誰にもなつかない困り猫なのだが、外出か
ら帰った時に玄関で番兵をしていたり、お隣の畑を巡回する姿が見えたりすれば心の底から嬉しさがじんわり湧いて
くるのだよ。フェンスの囲みで自由な外出をうばわれた猫達は気の毒だ。
ワトソン
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